2022.12.15 TV.Bros 12⽉号 岩井秀⼈連載【ワレワレのモロモロ外伝】『作家と「出来てない時間」のこと』

TV Bros.
文=岩井秀人

TV Bros. での岩井秀⼈連載『ワレワレのモロモロ外伝』 12⽉号が公開されました。
こちらでは冒頭部分をお読みいただけます。
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先日、愛知県名古屋市の千種(ちくさ)に新しくできた劇場「メニコンシアターAoi」のオープニングお祝い、みたいなのに参加した。

キャパ300の劇場を、公共ではなく民間企業がおっ始めるというのも訳がわからない。ほぼほぼ採算が取れる訳がないからだ。キャパ300の劇場を穴を開けずに利用してもらい続けるということは、もはや「演劇」の総観客数を考えても現実的ではない。さらにはコロナでがっつり、演劇のお客さんは減った。それでも劇場を作るのは、「街の活性化」や「文化の発展」という大義1本だ。書いてみたら2本だったけど。

ずっと演劇をやってきた男岩井が言うのもなんだが、それを信じられる胆力というか無謀さというか、そういうものがイマイチ信じられない。いまだに小劇場を「テレビに出たくて頑張ってる人」と受け止める人がほぼほぼだし、中劇場から大劇場は「芸能人を見る場所」という役割に終始している。まあそれも「文化」ではあるけど、演劇作品はもっと「我々のこと」を考えるためのツールのはずだ。

つまり文化的な押し広げとしての演劇活動は、男岩井はだいぶ諦めつつあり、かつては信じたかったけど、立ちはだかるつら~い現実に、げんなりしちゃったというところである。だから時折そういった、「マジで劇場信じてる」人たちには、感謝しかない。彼ら彼女らがいなければ、我々は東京以外の場所で公演を打つことができない。伊丹アイホール、三重県文化センター、北九州芸術劇場、上田サントミューゼ、思いつくところはその辺りだが、やはり公共だ。お国の文化予算を使って、ようやく実現できるかどうか、なことなのだ。この度それと同等のことを、民間企業の「メニコン」が「やったるぜ~!」と立ち上がったのだ。「どれくらいすげ~ことか」が、大体掴んでもらえたかと思う。何度も「メニコン」とここに書きたくなる気持ちもわかってもらえる気がするメニコン。

さて、そんな壮大な話を枕として本題に入るのだが、本題は至ってミニマムな「作家」の話である。

オープニングお祝いは順調に進み、男岩井もいつになく大緊張したまま挨拶を済ませ、ぐったりたっぷりのんびり(ホテル三日月)していた。オープニングラインナップは、東京からの劇団が3つくらい、名古屋が3つくらい。最後に挨拶をしたのが名古屋の劇団「少年王者舘」の作・演出を務める「天野天街」さんだった。

天野さんの作品を見たのはもう20年近く前だが、軽くぶっ飛ばされた。当時まだ「プロジェクションマッピング」なんてものがない時代に、余裕でほぼ全編映像を使い、同ポジ(舞台美術に舞台美術の素材映像を、舞台美術の形状に合わせて投射する。めちゃややこい)でかなりテクニカルなこともやっていて、さらには俳優への要求もとんでもなく高度で、「この演出家、俳優も映像の素材だと思ってやがる!」な演出だった。俳優に何秒か前の舞台上の状態を巻き戻させるため、1秒もない暗転の間に、小瓶を棚の上に移動させて立ち位置も巻き戻させたりしていた。さらには狂ったようなリフレインが続いたり、うどんがどんどん巨大化して舞台上手から下手へと延々と引き摺り出され続けたりもしていた。いずれ日本でも大麻が合法化されるのだとは思うが、残念ながら大麻が合法化されたぐらいでは、まだ「あ~天街さんが感じてたことってこういうことか」とはならないくらい、超絶サイケデリック演劇なのだった。そんな天街さんは男岩井のハイバイも見にきてくれて、「怖いよ~そして面白いよ~」と、やたら可愛がってくれた。

そんなサイケデリック演劇野郎の天街さんの挨拶は、「今回は作品が出来てて、嬉しい」という、素朴なものだった。内容は至って素朴なのだが、それでいて物凄く誇らしさと嬉しさに満ちているものだった。「作品が出来ています」という天街さんの言葉を、集まった記者さんたち2、30人は、「フツー」に聞いていた。まあそうだ。誰から見ても作家さんが話し始めた「作品が出来ています」という言葉は、ほぼほぼ「作品ができていません」と違いがないインパクトで、「まあ、どっちかだよね」な感じだったのだ。

が、その記者さんたちの空気と、天街さんの嬉しそうな顔のギャップを見て、男岩井は気づいてしまったのだ。「そうか! 天街さん、出来てるんだ!!」と。

遡ること15年。下北沢のスズナリ劇場で「少年王者舘」を見たのち、打ち上げに参加させてもらった。あれは確か初日を明けたばかりで、完全には作品が出来上がっていなかったようで、打ち上げ会場での天街さんは、その壮大な作品を作った化け物とは思えないほど、縮こまっていた。日本酒の入ったコップさえも心なしか小さく見えた。口元につけた日本酒が、少しだけ揺れていたので近づくと、天街さんは何かを囁いていた。よくよく聞くと「もうちょっとなんだよな……まだ出来上がってはいないんだよな……」的なことが、吐息9割で告げられていた。

さらにその半年後くらいに、別の作品で「王者舘」を見終わり、劇場を出ると、なんと天街さんが劇場入口付近で、うんこ座りしてタバコを吸いながら、観客に囲まれていた。みんなに話しかけられながら、天街さんは「満更でもないよ」な表情で男岩井にも気づいてくれた。そう、これが天街さんの「出来ました」なのである。

いかに作家といえども、大人になると「作品の出来不出来」に関わらず、なるべく淡々と過ごすべきだという共通認識がある。今回面白いのが出来ても、次も面白いのが出来るかはわからないから、態度としては「面白い」と「面白くない」の中間で行こう、となるのも自然のことだ。人は傷つきたくないものなのだ。しかし、「少年」「王者」舘の作・演出家ともなれば、出来なかったらしょぼくれ、出来たらうんこ座りするのである。

話は戻って、「今回は作品ができてて、嬉しい」という天街さんの言葉の間に、上に書いた20年を遡っていた男岩井は、改めて作家というものの悲しさ、いや、真理のようなものにたどり着いてしまった。「作家」というものは、その選手生命のほとんどを「出来てない」状態で過ごす、という事実。当たり前といえば当たり前だが、公演を打ってる状態が仮に「出来てる」という状態だとしても、1年間に2カ月もあればいい方で、つまりは12 カ月(1年間)のうち、10 カ月間は「出来てない」という状態に耐え続けなければいけないのだ。初日に若干間に合わなかったらしき天街さんの、日本酒が微かに揺れるほどの元気しかないのも、納得がいく。お客さんはみんな「出来てる2週間」を期待して見に来るわけで、そこに天街さんとしては「出来てない」を送り出してしまった、という状態だったのだ。や、もちろんスゲー作品だったんだよ? それでも天街さんの目指してるものはもっともっと先なわけで、もうほんと辛かったんだろうな~って思う。


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