2022.5.15 TV.Bros 5⽉号 岩井秀⼈連載【ワレワレのモロモロ外伝】『「農業もどき」をやって考えた、値段のこと』

TV Bros.
文=岩井秀人

TV Bros. での岩井秀⼈連載『ワレワレのモロモロ外伝』 5⽉号が公開されました。
こちらでは冒頭部分をお読みいただけます。
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今年から、「農業もどき」にも挑戦することにした。

山梨に友達が借りている山があり、そこにお邪魔してリノベーションを手伝ったりバーベキューをやってみたりを去年から繰り返していたが、そこは元々ぶどう農園で、猛暑の時期も我々がエヘラエヘラとバーベキューできたのは、斜面に張り巡らされたぶどう棚があってこそだった。聞けば、去年はそこで収穫されたシャインマスカットを始めとしたぶどう群を、東京まで売りに行ったりしていたとのこと。だけど今年に関しては山の持ち主さんが「めんどくさ!」くなっちゃったとのことだ。

男岩井、普段は演劇を始めとした「無形」の代表のようなもので、生活費をまかなっている。自分でやっておきながら、何がどうなってチケット代が「8000円」だったり「10000円」だったりするのか、わかってるようで、わかっていない。いや、わかってはいるんだけど、なんとなく、この「演劇」とか「脚本」を始めとした表現活動の、「需要と供給」という言葉とは縁遠いジャンルで身を立てていることに違和感があるにはあった。

そこに来ての「ぶどう」である。あ、ぶどうだけじゃなく、その山ではさつまいもも取れる。とにかくそういった「農業」というものに全く縁のない生活をしてきた男岩井としては、自分のやってきたことに比べて農業が、極めて「本質的」な所業に感じて仕方なく、「ぶどう育てたい!」と手を挙げさせてもらった。

例えば演劇のチケットが8000円だとして、その内容というものはとても複雑で曖昧で、「8000円のうち1000円は稽古場代、そのうち3000円は出演者に」などと綺麗に線が引かれているわけではない。チケット代を支払う方は「この作品を見る値段」と割り切れるかもしれないが、作っている方は、「こりゃ金取れねえよ!」という作品になってしまったとしても、逆にめちゃくちゃいい作品ができたとしても、そのことを値段に反映させることもできない、という点も、妙だ。

それが、「ぶどうを売る」とか「さつまいもを売る」ということは、とてもシンプルに感じた。なんせ形があるのだ。出来が悪かった農作物には、それなりの値段しかつかない。「1gいくらだから、500gのぶどうはいくら」と明確に決めることができるし、そのぶどうなりイモなりが、私の手から誰かの手に渡る、その代わりに代金をいただく、ということも、なんかすごくサッパリした行動のように感じる。表現活動は、明確に誰かの手に渡ったという実感も、やはりモンヤリとしている。

さて、そんなこんなで、具体的な実務を行う時期に入ったわけだが、我ながら農業というものについて具体的に想像さえもしてこなかったのだなと、つくづく思った。いや、想像したとしても、それはゲームの中などで、ドット絵で描かれた畑を指でタッチすれば、そこにぶどうなりの芽が「ポン!」と発生し、そこから10秒ごとくらいにぶどうの木はグングン育っていき、1分もすればぶどうの房が「ポインポイン」と溢れんばかりに育ち、虫などは一切湧いたりもしない。まさにおもちゃのようにツヤツヤの実が密集したぶどうの房を指でなぞれば「はい収穫完了!」となり、収穫完了した瞬間にそれら全てが販売終了したことになり、直接ゴールドが増える、みたいな認識だったといっても過言ではない。販売に必要な場所代、袋代、作業料、バイト代も一切存在しないし、それらの時間も全て割愛されている。それが私の愛するゲームである。

そんな愚かな自分を呪いたい。全然「ポン!」じゃないのだ。


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